2012講演会

八木重吉の妻そして吉野秀雄の妻―登美子夫人のこと

 
 
 
 
日 時: 2012年10月13日(土)午後2時
会 場: セントポールズスタジオ
講 師: 渡辺憲司 校長
渡辺憲司 立教新座中学校・高等学校校長
 
初めに中間先生の司会により始まり、小松会長が今回の講師である渡辺憲司校長のプロフィールと今回のテーマを紹介した後に講演となりました。
 
和やかな雰囲気の中で今回渡辺校長が八木重吉を選んだ理由を話されました。重吉は秋の詩人であり亡くなったのも10月26日であるからです。
(あまりに父兄の方々が校長の話を真剣に聞いていたからか、校長が父兄に笑いを取り緊張をほぐされていました。そして会場全ての電気を点ける事になった。明るくなったおかげで講師と父兄の距離が近くなった感じの中で話しの続きが始まりました)
 
「秋の瞳」の詩は、誰でも持っている「ちょっと行きたい気持ち、しかしここしか帰るところはない」と言うメッセージが伝わってきます。「詩稿逝春賦」では八木重吉は当時、教えていた少女と結婚をするが周囲から反対されたので故郷は決して優しく無かったことがわかります。「素朴な琴」の詩については、素朴と琴は結びつかないが、単純に質素な心を持っていれば秋の美しさを感じ心が豊かになる、という表現だと思います。
 
次に、校長が学生時代に八木重吉の妻である、とみ子に会うために鎌倉へ行った話になりました。
 
彼女はランチバスケットを持って現れました。その中には詩稿が入っていました。重吉はキリスト教を信じた詩人であり29歳で結核により生涯を終えてしまいました。その子供達も、とみ子を残し父と同じ結核で亡くなっていきました。とみ子は昭和22年に吉野秀雄に嫁ぎました。
婦人がキリスト教の話をしたのを思い出します。
最後すがって叫ぶ言葉は、キリスト教と仏教は共鳴していると感じます。この学校でも子供達は毎日お祈りをしていますが、そのお祈りはいつか必ずどこかで思い出すものです。今すぐではなく、いずれは共鳴するのではないか、南無阿弥陀仏とアーメンとは違った言葉であるが同じ言葉であるのではないかと思います。
 
その後、校長の手書きの詩に移りました。
 
なぜ手書きなのかと言うと、「母」と言う文字があるが、母の真ん中の2つの点をつなげて書いてしまっていたが、原稿を書くときに母と言う文字を調べてみると2つの点は乳房を意味していることが判りました。それを知ったとき、手書きにしようと考えたました。
詩「桃子よ」の中ではどんなことがあっても子供の命に変わるのは俺だ、と言う子供に伝えたい親の大事な気持ちをうたっています。「草にすわる」では1文字空けるという詩の書き方が、手で書くことで初めて分かることがあり、書く喜びがあるという事を表現しています。「母をおもう」では子供は親を忘れるが、ほとんどの親は子供のことを忘れません。子供は親の命に変わろうと思いませんが、親は子供に命を変えても良いと思う気持ちが伝わります。「母」の詩の中では3つの母の呼び方がある。母、お母さま、お母さん。この詩の中ではその違いが分かります。母は一般で全体を指していて、お母さまは愛着が非常に強く感じ、尊敬でお母さんと言っていると感じる。それぞれの人が、それぞれの考え方で物事を考える事を失っているのではないかと思います。母については母上という呼び方もあることから、母は色々な顔を持っていて、そして色々な年齢の母を思い出すという大事さを感じます。「童(こども)」では大人が子供に対してわくわくしながら接していく姿を現しています。
最近の世の中ではワクワクが無くなってきています。教育現場、学校では子供達が遊んでいる所でたまらなく接する所に駆け寄ってみると言う気持ちが大切だと思います。子供に対して我々が一番大切な事は、特に中学生や高校生に接してワクワクする気持ちであり、今、それが薄れているのではないかと思います。そういう触れ合いの気持ちを私達が原点に持たなければなりません。
 
最後に「いじめ問題」に関して話されました。
 
この問題に関しては我々の真剣に考えなければならないことで、どうしたら無くなる、学校に楽しく来れるかを考えています。良い薬は無いが、そのような心配事を真摯に受け止めるべきと思います。大事なのは学校に行きたがる事だと思います。子供は色々な悩みがあり、それを一緒に悩み考えていきたいと思います。
 
 
八木重吉の話に先立ち、渡辺校長から近況報告がありました。
 
それは、2011年3月の卒業生に送った言葉「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」の中で、大学とはいったい何をするところだ「海を見る自由」「立ち止まる自由」を得るためではないかと述べられた事についてでした。
「1人の時間を大切にすることが一生の中で大事であります。1人が1人でいる時間を大切にすれば共有する時間の尊さがうまれる。自身も今年の12月で68歳になり、もう少し早く気が付けば良かったのですが、ようやく自分の自由について分かりだした気がします。夫婦においてもお互いの自由を認め合うことが出来るようにりました。その中で孤独を直視することが大事だと思います。 この卒業生に送った言葉は一晩で30万アクセスを記録し、現在は80万アクセスになっています。これを機にファッション雑誌の取材や日本脳神経血管内治療学会などから講演の依頼がありました。しかし校長の奥様は、この文章に対して『高校から大学へはすべての人が行けるものではない、教育とは全体に投げかけるものではないか?』と言われました。」
校長は以前、定時制の高校教師をされており、その時の生徒を集めて同窓会を行った際に、この文章の件をお詫びしました。生徒達はそんなことは無いと先生のお詫びを否定したそうです。 「教育とは1人でも悲しい思い、辛い思いをしている生徒がいたら学校全体がそれにどう向かい合っていくかだと思います。自分も自身の考えが専行してしまう時があり反省しています。形ではなく、見る、感じる事から学ぶ大切さを痛感しました。また、今までのリーダーは先頭を走って行く事が求められていますが、2011年3月の震災以降、リーダーとは全員の幸福をどこまで考えられるかだと思います。困っている人々の事をどうやって真剣に考えてあげることが出来るかが、日本のリーダーに求められるものではないでしょうか。例えば、秀吉は負けた時は一兵も無駄にする事無く撤退し、どうやって全員を逃がすかを考えていました。」
今、我々に求められているのは何かをやめるときにリーダーが最後まで残る責任、1人寂しい人がいれば近寄って慰めると言う大事さだと思う、と述べられていました。
 
 
渡辺憲司氏:プロフィール
1990年4月?2006年3月 立教大学文学部日本文学科教授
2006年4月?2010年3月 立教大学文学部文学科日本文学専修教授
2010年4月? 立教大学名誉教授
2010年8月? 立教新座中学校・高等学校校長
 
著 書
『江戸遊里盛衰記』
『近世大名文芸圏研究』
『時に海を見よ これからの日本を生きる君に贈る』
『海を感じなさい。 次の世代を生きる君たちへ』
 
当日ご来場下さいました皆様に、役員一同より厚く御礼申し上げます。