2015クリスマス礼拝 クリスマス礼拝

 
第1部 クリスマス礼拝

日 時:2015年12月12日(土)15:00〜16:00
場 所:立教学院聖パウロ礼拝堂(立教新座チャペル)
 
司 会:佐渡 副会長
受 付:古平、戸塚、中野、村岡、岡田、宝地戸
出席者:95人
 

会長挨拶:佐渡文浩 副会長代読
本日はセントポール会主催のクリスマス礼拝に沢山の皆様にご参加いただき誠に有難うございます。
このクリスマス礼拝は生徒達が普段どんな風に礼拝を行っているか、保護者の方々に少しでも感じていただければと思い毎年主催しております。街中ではとても賑やかなクリスマスムードに溢れておりますが、このクリスマス礼拝では街とは少し違った厳かな雰囲気のクリスマスを感じていただければと思います。二部では吹奏楽部、JAZZ研究会のミニコンサートを予定しております。チャペルの中で行われる2つのクラブのコンサートをご鑑賞ください。それでは皆様短い時間ではございますが、最後までゆっくりとお楽しみ下さい。

校長挨拶:村上和夫校長
皆さんこんにちは。礼拝にお越しくださいまして有難うございました。クリスマス礼拝は厳かな雰囲気でやるもので、もう少し暗いと良いのですがまだ昼間で、だんだん礼拝が進んできますと気持ちがピュアなものになってまいります。実は、礼拝という物は形を変えないという事が重要でないかと私は思います。私もそうでしたが、忙しくなるとだんだん礼拝に行かなくなるのですが、ある時戻って来た時に形が変わっていないと、もの凄く安心いたします。同じような事が立教にもあります。先月卒業40周年の式典がありましたが、その時には300人位の人が集まりましたがそのうち200人位が立教高校の出身者でした。卒業して最後に戻ってくるのはここの卒業生なのです。キリスト教の学校の雰囲気というものがそうさせているのではないかと思います。それでは我々の魂は何かという物を、これから味わって、一緒に礼拝をしていただきたいと思います。
 
 

司 式 :西海雅彦チャプレン
聖書朗読:古平眞理子さん(高校3年学年委員長)
戸塚紀子さん (高校2年学年委員長)
中野佐智子さん(高校1年学年委員長)

 
奨 励:鈴木伸明チャプレン
先ほど四つの聖書が読まれましたが、これがイエス・キリストの誕生に関する聖書記事の代表的なものです。生徒たちはクリスマス礼拝で、中1から高1までは本日読まれた第一日課および第二日課を中心に、高2は第3日課を、高3はクリスマス締めくくりの物語として、イエス・キリストの誕生はこの世界へ光がもたらされた出来事であったという、本日の第4日課を学びます。従って今日の聖書箇所は、クリスマスの代表的な聖書記事であると共に、生徒たちがそれぞれの学年においてクリスマス礼拝で学んでいる聖書箇所でもあります。
本日セントポール会クリスマス礼拝は、保護者の皆様においでいただいての礼拝ですので、イエス・キリストの母マリアとこの世の父ヨセフの、イエス・キリストとの関わりを中心に学んでみたいと思います。ヨセフをこの世の父と申しますのは、聖書の記述が一貫して、イエス・キリストの真の父は神であり、ヨセフはイエス・キリストの成長に関わったこの世の父と位置付けられている事によります。
イエス誕生の物語を一番詳しく記しているのは、ルカによる福音書です。誕生の十月十日前、母となるマリアのところへ天使の長ガブリエルがイエス・キリストの誕生を告げ知らせに来た場面、課税目的の人口調査のため、マリアは臨月を迎えていたにもかかわらず、ナザレからベツレヘムまで、ヨセフと共に100km以上険しい山道の続く旅を余儀なくされ、さらにベツレヘムに到着してみると宿屋はすでに満員で彼らが泊まれる場所はなかった。イエスはそこで生まれ、布にくるまれて飼い葉桶に寝かされた。これはすべてルカによる福音書の記述です。これに、マタイによる福音書が記す、占星術の学者、よく言われる三人の博士の物語が加わります。 この後の記事を読んでいきますと、イエス・キリスト誕生物語は、40日目にエルサレムの神殿へ両親がイエスを連れて礼拝に行った話で一区切りとなります。このようにクリスマスの物語は不思議なことの連続でした。そのような日々を過ごしつつ、母マリアは、「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と書かれています。
その次に書かれている物語は。イエスがすでに12歳になっている時の話になります。ユダヤの規則では、12歳から13歳で成人となります。12歳になった少年イエスは初めて両親と共にエルサレムへ礼拝に出かけました。暮らしていたナザレからエルサレムまではやはり100km以上あります。ところが帰り道、少年イエスは両親とはぐれてしまいます。現在でしたらいそいで携帯電話をかけて「もしもしどこにいるの!?」と聞くことになるわけですが、残念ながら当時インターネットもありません。両親はエルサレムに引き返し、必死になって探しますが見つかりません。両親は3日間探し続けました。ふとエルサレムの神殿を見ると、真ん中に少年が座り、周りに学者たちがいて、少年が学者と話をしたり質問をしたりしているではありませんか。真ん中にいる少年を見るとなんとそれが少年イエスだったのです。皆様このような場面でどのようになさるでしょうか。「あら、こんにちは。三日ぶりね・・・」とは言わないでしょう。
「どこへいっていたの!!!!こんなに心配かけて!!」と、見つかってよかったという気持ちと、こんなに心配かけてなんという子だという、入り交じった気持ちの中でこのように言うに違いありません。実際、マリアも同じでした。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」。それに対して少年イエスはこう答えています。「どうしてわたしを捜したのですか」、何か張り倒されそうな答えですが、この後に続く少年イエスの言葉が重要でした。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。当時、神殿は神の家であると考えられておりましたので、この言葉は、12歳の少年イエスの心にはすでに、自分の本当の父は神であるという理解が芽生えていたことを意味する言葉だったのです。しかし両親はこの言葉の意味が分かりませんでした。それでも母マリアは、「これらのことをすべて心に納めていた」と書かれているのです。
イエスはおよそ30歳まで、ナザレで過ごしました。この世の父ヨセフの仕事は大工でした。ヨセフはイエスに自分の持っているすべての知識と経験をイエスに教え、イエス自身も大工となりました。宣教活動を開始した後のイエスの物語にヨセフは一度も登場しません。大変残念なことにイエスが30歳になるまでにヨセフは亡くなっていたと考えられています。伝説によれば、ヨセフが亡くなったのはイエスが18歳の時であったとされています。この間イエスは、この世の父ヨセフ、母マリア、四人の弟、名前は記されていませんが複数いたと思われる妹、合わせて少なくとも9人家族で過ごし、ヨセフが亡くなった後は大工をして家族を支えていたのです。イエスが宣教活動を始める時が来ました。イエスは住み慣れた家と家族に別れを告げ、42km離れたガリラヤ湖畔の町カファルナウムを拠点に宣教活動を開始します。母マリアはこの旅立ちに、宣教活動で使う服を作り、イエスに持たせました。聖書の記述によれば、宣教活動を開始した後、イエスはナザレに一度しか行っていません。その旅立ちに母マリアは服を作って送り出したのです。
イエスの活動の様子はまたたく間にガリラヤ地方一帯に広がりました。そして周りにはいつも群衆がひしめき合うようになりました。そしてイエスのことを危険人物視してその命をねらおうとするユダヤの指導者たちがかなり早い時期から現れていました。ある時母マリアはイエスの弟たちを連れ、イエスのいるところへ出かけました。「あなたの命はねらわれている。危ないことはやめなさい。自分の命を大切にしなさい」。母マリアはイエスにそう伝えるつもりだったのでしょう。この時もイエスは群衆に囲まれていて、イエスに近づくことが出来ません。人を遣わしてイエスを呼ぶと、イエスは「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と、マリアや弟たちに会おうとはしませんでした。イエスの使命遂行の思いを知ったマリアたちは、そのまま帰っていきました。
イエスが十字架にかけられた時、マリアはその場にいました。その時にイエスが着ていた服は、旅立ちの時にマリアが作った服でした。規則によってこの服ははぎとられ、兵士たちのものになります。誰がもらうのかを決めるためマリアの目の前でくじがひかれました。母マリアはどんな気持ちだったことでしょう。目の前で息子が殺されるという、私たちが想像もできない状況の中で、イエスはマリアにこう言っています。「御覧なさい。あなたの子です」。
イエスの生涯に関わった母マリアとこの世の父ヨセフの姿は、私たち子育てに取り組む者へ一つの姿を示しています。「そんな危ないことはやめなさい。無茶をするより、安全で確実な道を行きなさい」、保護者ならば当然そう言いたくなるような状況であったとしても、「正義のためには最後まで子どもの生き方を見守る」ことを、マリアとヨセフは貫きました。最後に待っていたのは十字架上の死だったとしても、マリアはすべてを心に治め、最後まで見守り続けたのです。この姿から、私たちは保護者の役割を学びたいと思います。 そしてもう一つ、「正義のためには、やってはいけないことは何が何でも止める」ことも保護者の大切な務めです。今日のニュースに、ベルギー人の息子がテロ組織に行ってしまい、19歳で亡くなったという記事がありました。この息子の父親は、「息子を何が何でも止めるべきだった、息子の心の穴に気づくべきだった」と言っていました。
クリスマスのメッセージは「平和」です。今年は世界各地でテロが発生し、多くの人が不安を持っている中でのクリスマスとなり、世界平和を特に願いつつ迎えることになりました。キリストの誕生が人々の心に明るく暖かい光を灯し、世界平和へと導かれますよう祈りつつ、本日のお話を終わります。


 
 
第2部 クリスマスコンサートについては 「クリスマスコンサート」のページをご覧ください。