2015クリスマス礼拝 クリスマス礼拝

 
第1部 クリスマス礼拝

日 時:2016年12月17日(土)15:00〜15:50
場 所:立教学院聖パウロ礼拝堂(立教新座チャペル)
 
司 会:桜井 副会長
受 付:戸塚、増井、淡路、木村、中嶋、鈴木(真)
出席者:86人
 

会長挨拶:佐渡文浩 会長
本日はお忙しい中、沢山の保護者の方にお越しいただき本当に有難うございます。また日頃よりセントポール会の活動にご理解を頂きまして感謝いたします。今日のクリスマス礼拝とコンサートなのですが日頃子供達がやっている礼拝を保護者の方にも経験していただくという事で開催しております。
2部構成となっておりまして、1部ではアコライトとクワイヤー子供達のアンセムがあります。2部ではJAZZ研究会のコンサートがあります。ちょっと長いのですが最後までお付き合いいただければと思います。
宜しくお願いいたします。

校長挨拶:村上和夫 校長
みなさんこんにちは。少し明るいのでクリスマスの雰囲気がしない感じですが、この礼拝堂でクリスマス礼拝をすると本当に身が引き締まるという感じがします。
是非礼拝をしていただき、その後子供達の演奏をお聞きいただければと思います。宜しくお願いいたします。
 
 

司 式 :鈴木 チャプレン
聖書朗読:戸塚紀子さん(高校3年学年委員長)
増井あずささん(高校2年学年委員)
淡路京子さん(高校1年学年委員長)

 
奨 励:金山 チャプレン
今、第一日課から第四日課まで読んでいただきましたが、これは聖書の中の福音書、新約聖書最初の四つの部分からとられています。この福音書はエヴァンゲリオンというギリシャ語に由来します。もともとは「良い知らせ」という意味です。第一から第三日課までは、私たちの救い主イエス様がお生まれになるまでのこと、そして、そのイエス様が私たちを照らす光であるということを示しています。イエス様が「良き者」であり、その御降誕が「良き知らせ=Good News」であると聖書は語っています。
 しかし、私たちが「良きもの」と言ったとき、どのようなことを思い浮かべるでしょうか? 皇帝アウグストゥスは、およそこの世界で並ぶ者のない富や権力を持っていました。しかし、神様が私たちに「良き者」として送られ、その誕生を福音=良き知らせとするイエス様は全く逆です。クリスチャンにとっての福音とはこの世の価値観とは全く正反対になります。
イエス様の御降誕の場所は馬小屋です。決してきれいな所ではありません。とても子供を産むのに適しているとは言えないと皆さんも思われると思います。さらにイエス様が寝かされたのは飼い葉桶です。無力な乳飲み子が横たわっている。神様はそれが「良きもの」であると言うのです。そして神様は、その小さく貧しい赤ん坊が、神の独り子であり、この世の救い主となる、私たちに与えられた希望の光だというのですね。
クリスマスは、光のシーズンと言われます。今、私たちはそれぞれ幸せに暮らして、こうして集まって来ることができていますけれども、世界的には、闇の方が深い。光は闇があって、初めて輝くと言われますけれども、今の時代、闇はとても深いです。
たとえば、今日のご降誕の場所とされている洞窟の上に立派な大聖堂が建てられて、今もベツレヘムにあります。この降誕教会でも、2002年には、アラブ人の過激派が立てこもり、イスラエル軍と銃撃戦が行われるというまさに闇を象徴する事件がありました。多くの神父さんやシスターが殉教されています。
また、つい先日にはエジプトの教会で自爆テロが起こりました。24人が亡くなったとされています。イスラム教は、キリスト教と同じでアブラハムを始祖としております。ですから、コーランだけでなく、聖書も尊いものとして尊重しておりますし、イエスを預言者の1人として尊敬しています。いわば兄弟宗教なのです。そんなイスラム教において、罪もない人の命を、無差別に奪うことを正しいと教えるはずはないのです。誤った教えを、若い人に信じ込ませているのです。
そんな世界の中で私たちはどうすれば良いのでしょうか? 今、怖いのは自分たちと異なる考えや、宗教を持つ人を対象として攻撃することで纏まろうとする人たちがたくさんいることです。ヘイト・スピーチやナショナリズムに代表される不寛容で内向きな世界。アメリカもヨーロッパもそうなりつつあります。キリスト教国がそうなってしまったらおしまいなのじゃないか、僕はそう思います。 なぜなら、第一、第四日課にある、キリスト教の根幹にある価値観を無視することになってしまうからです。キリスト教の教えでは、無力で小さな乳飲み子のところにこそ神様の救いがおとずれるといいます。そこで、もうひとつ聖書の中でおぼえていただきたいところは「彼らの泊まるところがなかった」というところです。ヨゼフとマリアの二人は、頼れるツテもない貧しい夫婦だったのです。その二人の間に、お生まれになった光の御子であるイエスさまは小さな小さな光です。今日の第4日課でヨハネは、神の子イエスを光だと言っていますけれども、これは本当に小さな、闇を照らすには心許なく感じてしまうくらいの小さな光なのではないかと思います。それが大きな暗闇の中に灯ったというのです。それこそが、私たちの救いであると言うのです。ですから、イエスは今も暗い馬小屋、聖誕教会下の薄暗い洞穴におられて闇を照らしてくださっている。決して大きな大聖堂や、攻撃する側にはいないはず。そして、いつでも貧しく、小さな人たちと共におられる。そう思います。私たち自身も、そのイエス様と一緒に、小さく小さくなりたいと思うのです。
人はどうしても、自分を大きく見せたい、高いところに上がりたいという気持ちがあります。そんな人間の欲を見て、イエス様はきっと心良くは思わないのでないかと思います。ですから、私、私自身は今こうして高いところからお話をさせていただいて、非常に居心地が悪いのですけれども、もし、イエス様なら、ここから降りていって、腰を下ろして、同じ目線で皆さんと語り合い、共に小さくなるでしょう。そして、そこにこそ真の平和が訪れる。そんな小さな光がイエス様。皆さんの前にある小さなキャンドルの光のように。
小さな光である、生まれたばかりの赤ん坊こそがイエス様です。自分では何もすることができない無力な存在。そんなイエス様であるからこそ、私たちはこの福音を本物だと思える。これが、権力や富を持っている高貴な皇帝や王が救い主であるというならば、この世の論理ではあたりまえでしょう。でも、そうではない全く逆の論理で成り立つ世界にこそ、本物があるということをどうぞ皆さんお忘れにならないでください。小さな命、小さな救いが、私たちにとって、最も大切なことです。それを、見失わないでください。クリスマスのきらびやかなイルミネーションやライトアップに目がいきがちですけれども、小さな光を見失うことなく、クリスマスシーズンをお過ごしください。

今年のクリスマスが、皆様にとって、そのような暖かな、小さな光を灯す時でありますようお祈りさせていただきます。


 
 
第2部 クリスマスコンサートについては 「クリスマスコンサート」のページをご覧ください。